先日、貴兄から「M8.8の地震と津波(3月11日)」についてのメールを頂いた直後に、最近の日本で流行言葉になった感のある「想定外」と云う言葉について、自分なりの考えを思いつくままに書き連ねました。 「福島原発事故による被災の説明中に、どうして想定外がでてくるの?」というのが実感です。

普段 道を歩いていていると、たくさんの顔・形や皮膚の色の違う人たちに出会います。通り過ぎる一瞬の間に、色んな思いが頭のなかを駆け巡り 消えて行きます。当然のように、個人的な好き嫌いや人種偏見にも関わる様な感想も含まれます。これは、なにも善し悪しの話ではなく、自分達の脳がそんな風に働くからなのです。事の善し悪しの最終的な判断は 結果としての行為によって決まるもので、個人の感覚・認知の善し悪しを その都度一つ一つあげつらってもらちがあかないのです。 私たちの脳は、瞬時に浮かんで来る仮定、あるいは偏見、と目の前の現実とを常に比べた上で、両者を取り込み、まとめて認識・判断しています。つまり、日常生活に於いては前提となる想定なしには何事もできません。科学研究で「仮説」が必要というのも、基本的には同じことです。

ここまでは誰でも納得する話ですが、この先はいささか私の独断となります。

一仕事を計画する際、 我々は一定の想定の下に具体策を立てます。これまでの実績や経験に基づき、あるいは、知識・記憶一般から来る前提条件なくしては数字をもりこんだ具体策がつくれない、つまり、事が始まりません。法案を立案しようと模索する議員たちであれ、将来に投資する原子力発電所の立案者であれ、あるいは又、次の一瞬にかける博打うちであれ、誰もが同じ思考過程をたどっています。

問題は、人の思惑は得てして外れ易いことにあります。それは、自分たちが生きて行く為には楽天家にならざるを得ない、と云うヒトの持つ根源的な特性から来ると思われ − つまり、甘い考えで事を始めるからです。 当ての外れた博打うちは損害を自分一人で被り、自分の唇をかめば済みます。それだけの話です。が、 責任ある立場に立ち 社会的影響の大きい仕事をする者には、それでは済まされません。事の顛末を説明しなければならないからです。テレビ・カメラの前にたち、予想外であった、と云う個人的な無念さを、「想定外」と云う難しい言葉に置き換えても、説明にならないのは勿論のこと、責任者としての尊厳を保つ術にも足りません。 博打うちの心意気にも至らない上、端から適任者でなかった事を認めているだけの話です。

先を急ぎますと、次のような結論になります。どんな仕事に於いても、「プランB」のない計画はあり得ないのです。ヒトの記憶・認知力の限界、あるいは、自然の複雑さの限りない広がりを前に、あなたが精魂つめてつくった最善の「プランA」が 、極ゆっくりとであれ突発的であれ、時とともにほころびるのは避けられないのです。殊に突発的状況でプランAがほころびた際に打つ手、これをプランBと呼びます。この認識に立てば、せめて立案時の想定をこえる予想外の事態に対処する為のプランBがない限り、あなたのつくるプランAは、そもそも当初から、単なる蜃気楼だったのです。売り物にはなりません。

実験の過程で予想外の現象に出会った科学研究者は、自分の仮説を作り替えることで生き延びます。しかも、予想外のデータは、より根源的な新発見に繋がる糸口になるかもしれません。しかし、技術者の働く世界は、社会との関わりがより直接的でしかも強いが為に、そんな暢気な事では済まされません。せめて、自分たちのつくったプランBを頼って新たな事態 − しばしば最悪の事態 − に対処する以外、技術者は尊厳を持ちつつ生き延びる術はない、と思われるがどうですか。

『科学と技術』に掲載された『MIT原子力理工学部による原子力発電の解説』(最終更新: 2011/04/16) を読む限りでは、“多層防衛、Defense in Depth”の考えの下に設計された原子炉の制御が困難になる状況に刻々と対応して、 福島原発の現場で奮闘する技術者たちが、次の手を順次繰り出した様子が分かります。これをただマニュアルに従って状況に対処しているだけ、と取るか否かは今後の論議の分かれ道になります。

ところで、第二作目の『アンドロメダ病原体』を発表して、一躍ベスト・セラー作家になった米国人のマイケル・クリクトンを覚えていますか。この物語の中に登場する「半端者(odd man) 理論にまつわる逸話は、ここで云うプランBの中身がどんなものなのかを示唆している、と思います。マニュアルの詳細化ではなく、あくまで専門バカにならない、あるいは、殊に緊急時には論理の落とし穴を避ける術の必要を訴えています。どうしても、発想の違いが(paradigm shift) が求められます。でなければプランB にはなりません。
話の局面はかなり違いますが、生き延びる知恵と云う点では「鶏鳴狗盗」の故事も同じ考えの延長上にあると思います。如何でしょうか?

因に、 Nada9を介して教えて頂いた野依良治さんのNHKインタビユー(News Watch 9, 2011年05月05日)は頼もしく、科学研究に携わった者として、「貴方を当てにしてますよ」、の一言です。 彼の云う通り、まったく「科学と技術」は別です。そして、科学は本来、想定外の世界です。「科学技術」と云う耳当りの良い熟語をつくった人たちは、今頃、一体何を感じ考えているのでしょうか?

   
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